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本日の日記 崇拝編

本日の日記面識編(http://unaccompaniedrequiem.cocolog-nifty.com/blog/)別館です。勢いで作成してしまったので方向性は未定です

「モヤモヤ解説」にチャレンジしてみる(後)

「モヤモヤ解説」にチャレンジしてみる(前) - 本日の日記 崇拝編

の続きです

 

4.すいません感情論でした。

10歳ごろまでにいろいろな経験をさせ、思春期になったら自主性を尊重して自由な探求を許す――わが子の潜在的な認知能力を最大限に増幅させるのは、そんな育て方ということか

 

なんか、この「他人事目線」がまたこれモヤモヤ。

繰り返しますが自分は子育て世帯ではありません。親の目線ではないですし、実際子育て世帯の苦労やなんかはちっとも理解していないのに偉そうに書いています。

ですが。

この記事を読んだときの「モヤモヤ感」の正体がわかりました。

初めに感じた、「なにが言いたいんだ?」という感情です。

「わが子を天才・秀才に育てる!」という名目の教育商法やら書籍は多数あります。

しかし、明記されてないんです。「わが子を天才にして、それが親子双方にとっての嬉しいことなのか」が。

 「わが子を健康に」はわかります。できうる限り苦しみの少ない生を、とほとんどの親御さんが持つ願いでしょう。

それと天才秀才の定義がないんです。まさか高学歴の事を言っているとは思いませんが…

(このへんは自分の実親が高学歴至上主義だったのでモヤモヤしているのでしょう。力関係が逆転した瞬間にこちらを賢い、と言う人間もいます。みなさまお気をつけて)

 

数学が大の苦手で家庭科が抜群な男性も、裁縫が大嫌いで武術の達人の女性も、おなじ「天才」ではないかと。

 

子供の得意分野を伸ばしたい、はいいんですが、そもそも前提としての親子間のコミュニケーションがある程度成立していないと難しい側面もあるかと思います。

 

「潜在的な認知能力を最大限に増幅させる」にはまず、型も世間のつまんないステレオタイプも全て取り払って、一人の人間として我が子と向き合うのがいい方法ではないのでしょうか。

 

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モヤモヤ解説のはずが、よけいにモヤってしまったので謝罪します。

めっちゃ突っ込みどころありますし。結局感情論ですし。

 

精進しないとですねえ…。