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本日の日記 崇拝編

本日の日記面識編(http://unaccompaniedrequiem.cocolog-nifty.com/blog/)別館です。勢いで作成してしまったので方向性は未定です

歴史を二元論と感情論で語る風潮はそろそろ廃れるべき、という話(まえ)

本館用資料 歴史観

安重根を称えること自体は自由 - 独身貴族(笑)の雑記 − 30代リーマン

 

こんにちは。気付いたら手持ちの本が東京裁判南京事件インパール作戦関連しかなくて偏りに偏っている加藤国春です。

歴史話します。本館みたいに推敲せず(え?あれで推敲してんの?というツッコミは受け付けません。一応一晩おいて居たりはしてます)一気に書き上げますが、一応下書き資料とカテゴライズしておきます。

 

少し前の話になるのですが、安倍総理靖国参拝関連で「Aクラス戦争犯罪人」―個人的に「A級戦犯」という訳がいまいちだと思うので変な表現ですが―の話がやけにひっきりなしに出されるので、「そんな東條東條言わんでええやん」という気持ちでツイートを(本垢で)したところ、

 

東條英機の功罪について思う所を一度記事にまとめたらどうだろうか」

 

という趣旨(だと思う)のリプをいただきまして。

抱き合わせで自分の「歴史認識」「歴史への評価」への思いをちょっと語りますかと

 

id:syachiku1氏になる冒頭のリンク記事なのですが、ほぼ賛同です。

そちらの記事の元記事も拝見させていただきましたが…否定はできませんが、ちょっと歴史背景や人物への評価スタンスが異なる方だなあ?といった感想でした。

本館にて何度かやり取りをさせていただいたように、自分はsyachiku1氏とは歴史認識スタンスが異なることが多いのですがこちらの記事に関しては賛同できる部分が多く感じます。

 

というのも、元の元の記事(ええい、リンクさせて頂きます。挨拶もなしですが失礼

毛沢東の功罪両面を見る中国、伊藤博文の功の一面しか見ない日本 - 誰かの妄想・はてな版)の記述の中でちょいと引っかかってしまったものがあるのです。

 

建国後、特に晩年においては大躍進や文化大革命の責任者として否定的な評価が下さるべき人物です

 

 

自国民を多数死に至らしめ、それまでの伝統文化を破壊するような政策をとり、「粛清」を行った人物―という点では彼は肯定的に評価できる人間ではないでしょう。

で。それからです。

 

まずもって比較対象がちょっと極端じゃねえかなあとか、背景が全然ちゃうやろが、というのはおいときまして。

今回の記事で言いたいのはここです。

 

「歴史上の人物に対して、是か非かの二元論で論じるのはやや乱暴ではないのか?」

 

ある程度の流れや、ある国家の政策に対して善悪で語るのならばまだ理解できます(肯定はしませんよ!重要)。

が、その時責任者であった人間、そしてその人間の人生においてその人を「是非」で語ること、ましてや「善悪」でどちらかに位置付けるような思考パターンそのものに危惧しています。

 

白状しますと、自分はsyachiku1氏の「まず日本を悪者にという前提で歴史認識を語る人(むっちゃ要約)」という言葉の意図するところがはっきり掴めておりませんでした。

…でも今回の話で、あれはこういうことなのかな?とぼんやり感じました。

 

自分も左派にしてアンチ歴史修正主義者、アンチネトウヨですので scopedog はてなダイアリープラス利用中 氏の記事に全面的に反感というわけではないのです。

ただ、例えがちょっと受け付けない感じ。

靖国神社参拝問題で諸外国の懸念を買っている安倍政権がわざわざアンジュングン(変換できなかった)の話にこういった声明を出す」という事案に対しての疑問ですとか「世界的な標準の評価としての歴史的人物と異なる見解への国家対応」などはわかります。

 

ですが…。

「一人の人間を善か悪かという二元論に振り分ける必要はあるのか」「それ以前に歴史的事象二元論に振り分けることは乱暴ではないか」というのが自分のスタンスです。

 

歴史的事象には、好評価、悪評価、是非はほっといて流れを作った、どっちでもない、といった様々な評価が下されるもの。

もちろん「個人的な評価によれば」というエクスキューズ(使い方ちがう)を持っている上での発言で生姜。しょうが?

 

もともとの記事より引用です

伊藤博文も近代日本建国における英雄と言えます。初代首相などを務めて近代日本政治体制の確立に大きな功績があったのは確かです。しかし、一方で韓国統監として韓国侵略の責任者であったこともまた事実です。伊藤博文は併合反対論者だったなどと言うのは、保護国という形式での侵略を正当化するものではありませんし、1904年から1909年までの韓国侵略のやり口は非難されるべきものが多いことも否定できません。最終的に韓国併合方針を日本政府閣議決定した際、それに異を唱えることなく容認していますので、韓国を併合から救おうとしたなどという評価もお門違いというものでしょう。

 

 わたしは、歴史上のある一人の人間に対して、イエスかノーかの一方的な評価を与えることには反対です。

加えて、国家方針にもやや反対です。

いかなる歴史的事象にも光もあれば闇もある。

 

・この人物のこういった行動が及ぼした影響に関して、自分は悪いと判断する

・この組織のこの行動に対して、この資料を元にこのように判断する

・判断基準はこの文献(資料)である、自分はこのように思う

 

これならいいんです。これなら「議論」できるじゃないですか。その資料の矛盾をつっつくがよし、判断に対して新たな資料を勧めるもよし。

 

ですが、タイトルのような二元論や感情論でこられると、と。

「あなたがそう判断するに至った情報の元を教えてほしい」と問うしかない。

 

―わけます。失礼~