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本日の日記 崇拝編

本日の日記面識編(http://unaccompaniedrequiem.cocolog-nifty.com/blog/)別館です。勢いで作成してしまったので方向性は未定です

歴史を二元論と感情論で語る風潮はそろそろ廃れるべき、という話(うしろ)

前回の記事でグダグダと言いましたが、要するに

 

「国家指導者や戦時指導者、歴史人物の評価=歴史事象の評価、ともとれる表現はやめたほうがいいと思う」

 

という感じの事を言いたかったわけです。

無論、引用元の方々はそんなこたぁ百も千も承知でしょうし、だいたい読めばわかります。

 

 

ただ…

わかりやすい表記、誤解の招きづらい表記というものにこしたことはないもので(くれぐれも引用元の文章そのものを批判する気はありません)、たとえばこれが文字制限のあるはてなブックマークTwitter―などといったソーシャルメディアとなればそういった傾向が強くなるのは体感されたこともある方も多いと思います。

免責への言い訳はこのへんで。

少々藁人形論法になってしまいますが(ソースを出せないので)、

「歴史的事象、歴史的人物を二元論で結論してしまうことへの疑念」について。

 

前回の記事で「比較対象がちょっと極端じゃないかなあ」と書いたように、アンジュングンの話題でマオ氏を出すのはちょっと違う気がします(伊藤博文もちょっと違う気がするけど)ので、もともとの記事はここからは考慮しません。

 

はて本題です。推敲しないとどんどん長くなる。

この話の発端はアンジュングン関連なのですが、想定としては東條英機をはじめとした、東京裁判で死刑となった方々論です。

 

過去、本館にてid:syachiku1氏とやりとりをさせていただいた時には固定していなかったのですが…たとえばラダ=ビノード=パール判事(以下パル判事)の言うように、「国家としての罪はあるが、個人的な罪に関しては無罪と判断する」みたいな意見についても考え出してみたのです。

 

大日本帝国の問題点はなにか、帝国陸軍海軍の問題点はなにかというと、組織の人事やモラルハザードが最大の原因であったと思っているのです。

 

今のブラック企業と呼ばれる企業の体質、あれにそっくりなんですよ。

本当にそのポジションに必要な人間をその位置につけなくなってしまう、凝り固まった思考回路という組織的な欠陥があんな大惨事を引き起こしてしまったのではないのか、インパール作戦の本を読んでいて浮かんだ印象です。

 

陸軍だけではないですよ。海軍も無論、政治、民間企業、そして国民。現在でも明らかに受け継がれているのですよ、この総無責任体質は!

 

東京裁判についての本を読んでいて感じますが、個々人に対して「悪」か「善」かなどという乱暴な評価だけで思考停止をしてしまうような言論は避けてはどうでしょうか。

その人に対する責任や判断の間違い、結果起きてしまった事への贖罪などは発生すると思いますが、じゃあそいつは「ただのわるいやつ」なのか?

 

功罪を含めて、という話題に外国の話を持ち出すのは、おかしくはないのですがちょっと伝わりにくいのかなと―あ、俺が阿呆なだけかな

…違うんですよ、靖国問題で幾つもの「たとえばなし」を見てみましたが、どれもしっくりこないのですよ!

「Aがいい」「いやBがいい」って、そういう話ではないはず。

 

自分は、歴史認識に関しては「思想のスタンスはおいといて、ウソはつかないでほしい」という立ち位置です。

 

安重根」「毛沢東」「伊藤博文」…彼らはそれぞれの母国に(様々な形で)功罪いずれももたらしたかもしれません。

しかしそれを功 

 

―――

なんんかはてなブログだとおかしくなるんですね。

 

あらら…おわり